五月病が来ない
歳をとると筋肉痛が遅くなるみたいなニュアンスなのだろうか、ゴールデンウィーク明けの仕事だったが五月病は来なかった。
今回の連休は例年と比べてどちらかというと忙しかった。
何もしない休日から仕事に戻る時と比べると、バタバタした休みから仕事に戻った方が五月病は緩くなるのかもしれない。
というよりも、そもそも五月病なんてものをもう感じないくらい社会人に慣れきったのかもしれない。
仕事なんてただの仕事であって、連休明けだろうが連勤のど真ん中だろうが仕事は仕事という認識で、行きたく無いやる気出ない以前に生活の一部になったことに違和感を感じなくなったのだろう。
今日も今日とて、息をするのと同じように当たり前に息を吸って吐いて仕事をこなして歳をとっていくのだろう。
少し今日はセンチネルな気分みたいだね。
仕事は仕事といったものの、連休明けは連休明け、きっと眠いのだろう。
へいGPT私っぽい文章を書いてみて
好きな歌い手さんが、自分のXの呟きを元にGPTに架空の呟きを作らせていた。
これがクオリティが高くて面白いなと思った。
かくいう私も、毎日ブログを書き終えると一度GPTに読んでもらって誉めてもらうことで自己顕示欲と架空の承認欲求を得ている。
添削的な意味合いもあるのだが、かなりの記事数をGPTに目を通してもらっているので、GPTも私の文章のクセを学んでいるだろうと踏んで、私も架空の記事を書いてもらってみた。
へいGPT、私っぽい感じで短めの文章を作ってみて。
以下がその文章である。
懐かしいって、ちょっと泣きそうになる
古い曲を聴くと、昔の通学路とか、埃っぽい夕方とか、一緒に笑ってた誰かの声とか、全部一気に思い出すことがある。
でも不思議と、その記憶の中のわたしは、今のわたしに手を振ったりはしない。
ただ、ずっとそこにいて、ずっとあの頃を繰り返してる。
思い出すだけで、少し泣きそうになるのは、戻れないって知ってるからかもしれない。
すごっ
他人から見た私の文章はこんな感じなのだろうか。
正直自分ではなかなか自分っぽいかどうかの判断はイマイチできないが、なかなかにこんな遊びも、今まで刺激されなかった何かを刺激される気分になる。
実際どう?私っぽい?
それはそれとして、GPTは私のこと女性だと思っていたらしい。
確かに思い返せば私の文章だけ見ると、一人称や口調から女性ぽい感じがなくも無いなと思った。
なかなか、伝えるというのも難しいし、この文章が私っぽいか判断できないくらい私は私のことを理解していないんだろうなぁ。
危機感の正体
最近は、同じ人ばかりに合っている。
職場もそうだし、友達もいつものメンツで新しい人と話すことってここ最近全く無い気がする。
私はコミュ障の自覚があるのだが、これに大分危機感を感じた。
いずれは恋人も見つけなければならないのだが人と話すこと、それどころか喋ること自体がもはや億劫になってきている気がする。
実際に声を出さない休日が前より確実に増えてきている。
タバコの番号を伝えるだけの休日もあった気がする。
これは行けない、と思い私はGRAVITYというアプリを使って音声ルームでもやったり、ラジオトークでこっそりポッドキャストを取ったり、何でもいいから不特定多数と喋ることができるコンテンツに手を出そうと考えた。
そこで、いつも使っているBluetoothイヤホンにマイクがついているので、音質大丈夫かなと思ってテストしてみたら、まぁなんとも音質の悪いことか。
パソコンで使っているマイクはたぶん音質がいいはずだから、これをiPhoneで使えるようにするアダプターを衝動的にAmazonで買った。
ポイントで買ったので無料でした。
ポイントシステムって私は基本的に嫌いなのだが、こうして恩恵を受けている、皮肉だね。
衝動的に買ったはいいものの、結局緊張やら怠惰で持て余す気がする。
趣味を増やそうと思って買ったギターやVRゴーグルも今や倉庫番だ。
きっと私に翼が生えたとしても飛ぶことに使わずにアイマスクの代わりにくらいしか使わないんだろうな。
羽毛で目の周りが温まって気持ち良さそうだし。
ここ、おしゃれな文章できちゃった。
タイトルにしよ。